大阪と言えば食べ物も地名も建物もとても有名な場所がありますよね。食べ物で言えばたこ焼きやお好み焼きといったものが有名です。建物としても大きな建物があり、とても有名です。
そんな大阪でも、昔は名前が違いました。
今回は『大坂から大阪』に変わったことについて紹介していきたいと思います。
大阪は江戸時代中期には『大坂』と『大阪』が併用されていました。明治維新後の1868年に新政府は元の大阪三郷に大阪府を置きました。この頃に『大坂』に代わって『大阪』が正式な表記になりました。
翌1869年には北・南・天満の三郷から東・南・西・北の4大組に再編され、1875年に大区小区制が施行されると、順に第1~4大区となり、1879年に郡区町村編制法が施行されると、再び東・南・西・北の4区となりました。1889年には市制施行により大阪府管内の大阪市となり、大阪市はその後周辺の町村を合併して、1925年にはほぼ現在の領域に広がりました。さらに府は周辺の県を統合した後、1887年に奈良県を分離して現在の大阪府の領域となりました。この結果、元来は都市名であった大阪の地名は現在のように広域を指すようになります。
明治維新の直後は廃藩置県によるいわゆる『大名貸』の貸し倒れや地租改正による金納化によって大阪経済は大打撃を受けてしまいました。ですが、経済産業の近代化とともに次第に西日本経済の中心地としての地位を確立していくことになります。
このように、大阪というのは一度名前が違ったのですが、こういう経路があって、名前は今の名前になりました。