大阪と万博

大阪で万博が開かれたとき日本では経済成長のど真ん中でした、そういった背景で万博がひらかれるのは、2008年に北京でオリンピックを開催したあと、2010年のいま上海で万博を行なっているのと同じ事情だろうとおもいます。

オリンピックと万博というのは世界中から注目が集まる巨大な祭典、国の威信を賭けた最大級の国家的イベントの双璧。
開催都市に対しては、国が集中的に予算を投下して都市改造を行ない、道路網や鉄道網などのインフラ整備が進められるのです。
オリンピックまたは万博の開催都市に選ばれるということは、その町にとっては都市近代化のための千載一遇の好機でありました。

オリンピックは東京で行なわれることになった。日本の戦後復興を世界に示すもう一つの巨大イベントである万博をどこで開くかといったとき、これはもう、日本第二の都市である大阪(この当時は人口でも日本第二の都市だった)以外、考えられない。少なくとも当時はそれが当然の認識でした。
首都圏ばかり厚遇はできないし、関西圏をさしおいて他の地方で開くというのも当時の発想では考えにくかったのです。

あとづけで色々もっともらしい理由はあるのかもしれないが、「オリンピックが東京なら、万博は大阪で」というのは当然の政治的バランス感覚だし、当時の日本人の大多数も納得できる話だったはずです。