大阪と笑いの町

最近は吉本興業も東京に進出し、多くの芸人を大阪事務所から東京事務所に転籍させ、多くを送り出しているので、現座お笑いの中心が果たして大阪なのかというのは疑問符が打たれるところですけどね。よく東京は『武士』の街、大阪は『町人』の街といわれて、武士が1%も満たない街で町人文化の素地があったということもありますが、商人、とりわけ丁稚・手代は年季奉公としては薮入り=お盆休みと正月しか休みもなく、給金が安い為、満足な娯楽を楽しめなかった(というより今では比べ物にならないくらい娯楽自体がなかった。)ので、彼らは”食うこと”と”話すこと”が楽しみだったわけです。
前者は『天下の台所』という環境要因も相俟って”食道楽”として文化が昇華し、後者は”お笑い文化”の素地になったといわれています。
加えて一番は大阪が大正時代に”大大阪時代”として栄えた頃、つまり東洋一の工場・大阪造兵廠(=陸軍兵器生産工場)があり、更にその下請けとして工場が林立し、大阪が重工業地帯としてが急激に伸びていて、すると全国各地から人が職を求めて流入し、工員などで働いていた人達も先ほどの”話すこと”が娯楽として訴求された形で自然と庶民の中に”話芸”が溶け込んでいったというものです。
そこに乗っかっていったのが”吉本興業”その後の80年代の漫才ブームを皮切りに一大ムーブメントを築いていき、同社が芸能界における地位を確立していったから荘考えます。これを考えると大阪と吉本の関係は深いですね。